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太平洋戦争を経て生まれた「平和の丘」

今月6日に福岡国際マラソン選手権大会が行われました。
国際マラソンは、今年で第69回を迎える歴史ある大会です。
毎年12月の第1日曜日に開催され、発着点を福岡城内にある平和台陸上競技場としています。

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<平和台陸上競技場西側>

ところで、平和台陸上競技場の
“平和台”とは、もともと地名だったわけではありません。どこから来たのかご存知ですか?

1871年の廃藩置県により福岡藩は消滅します。福岡城も明治政府に接収され、最初は県庁、
その後は陸軍歩兵連隊・第24連隊の本営が設置されました。
福岡連隊の跡
<舞鶴公園の北側にある福岡連隊跡記念碑>

太平洋戦争後には進駐軍のための宿舎の建設が予定されていたのですが、
昭和23年の第3回国民体育大会の福岡県開催にあわせ、大正-昭和時代の体育指導者であり、
当時福岡国体事務局長だった岡部平太が、この地にスポーツ競技場の建設を提案、了承されました。
「スポーツは平和の証明。平和のウテナ(台)として守っていきたい」として
「Peace-Hill(平和の丘)」つまり「平和台」と命名されたのです。

<平和台球場跡地のフェンスパネル「平和台と現代」より抜粋>

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「画像提供:福岡市」「撮影者:Fumio Hashimoto」

国体と同年に福岡城は舞鶴公園として開園し、市民に開放された城跡公園となりました。
舞鶴公園は、平和を願った場所だったのですね*